「たとへば、こんな怪談ばなし =名残雪= 後編」  星野はおろおろして、その場で思いつく限りの言い訳をしたが、その 間高瀬は、  「うそだー、うそだー」 と、駄々っ子のように泣きじゃくった。  こうなると、今度は星野の方が頭にきて、  「じゃぁ、どうすりゃいいんだ!!」  星野は高瀬を怒鳴りつけたが、高瀬は泣きじゃくるだけであった…こ うなると星野もほとほと疲れはてて、  「判った!デートする!!デートするから泣き止んでくれ!!!」 と、とうとう折れてしまった。  「ほんとう…?」  途端に、高瀬は泣きやみ、おそるおそる顔を上げて星野の顔を見た。  星野が頷くと、高瀬の顔が急に明るくなった。  …港みらい21地区…ここは、横浜からJRなら1駅、私鉄なら2駅 隣の桜木町にある。  桜木町の駅前からランドマーク・タワーへと続く動く歩道に、星野と 高瀬は居た。  高瀬は、キャーキャー言いながらはしゃぎ回っていた。  「おいおい、高瀬君。君ねぇ…目立っちゃダメじゃないか!」  星野が動く歩道の手すりに肘をつき、額を押さえながら言った。  「あら、どうしてですか?」  振り返って、星野の方に向き直った高瀬に、星野は近づいて、  「一応、君は幽霊なんだよ!」 と、小声で耳打ちした。  「あら…幽霊が目立っちゃいけないなんて誰が決めたんです?」 取り合えず、自分が幽霊であるとは認識しているらしく、高瀬も声を潜 めて言った。  そして、見る物聞く物すべてが高瀬には珍しいらしく、動く歩道を右 に行ったり左に行ったりして、再びキャーキャー騒ぎだした。  「ああああ…」  星野はその場でしゃがみ込んだ。  はしゃぎ回る高瀬を連れ、ランドマーク・タワーの最上階にあるスカ イ・ラウンジに着いた星野は、高瀬を案内しながら横浜の夜景を見てい た。  「綺麗…まるで、宝石のよう…」  うっとりとして、静かにたたずむ高瀬に、  「ほら…、あそこにあるのが俺達の会社が入っているビル」 と、星野が自分達の勤めているビルを示した。  「え…どこどこ?」  「ほら、あれだよ、あれ、首都高の側でぼんやり光っているだろう…」  「あっ…本当…こうしてみると、結構綺麗なビルなんだぁ…」  高瀬は自分が勤めていたビルを見て感心していた。  横浜の夜景を二人そろって見ていると、高瀬はしんみりした声で、  「私…前々からここに来たかったんです。私が死んだときには、まだ ここ建設中でしたし…私、生きていたときもそうだったけど、死んでか らもずっと寂しかったんです…」  (そうだ、確かに高瀬が死んだときには、このビルは建設中だった…) と、星野は指折り数えてそう思った。  そして、  (こんな出会い方をしないで、もし、高瀬が生きていたなら…) と思うと、なんだか高瀬が可哀想になり、同時に今まで高瀬に対して嫌 々な態度をとってきた自分を責めた。  星野が高瀬を見ると、高瀬の目に薄く涙が浮かんでいた。  スカイ・ラウンジを降りて、ランドマーク・プラザをぶらぶらし、ド ックヤード・ガーデンから外に出た。  あのとき以来、星野はどんなに高瀬がキャーキャー騒ごうとも、笑っ て見守っていた。  本来なら、ランドマーク・プラザでしゃれた食事か、お茶でもしたい ところだが、高瀬が幽霊であることを気にして、そう言ったところには 入らなかった。また、別段高瀬も言い出さなかったところを見ると、高 瀬も内心は自分が幽霊であることを気遣っているようであった。  ランドマークタワーから、ホテル・パシフィコの方に向かって歩いて いくと、途中に大観覧車がある。  高瀬は大観覧車を見上げて、それを指さすと、  「星野さん、あの観覧車に乗りたい」 と、一言言った。  「ああ、いいよ!」  星野は二つ返事をして、高瀬と大観覧車に乗り込んだ。  大観覧車の中で、二人はしばらく黙っていた…二人は静かに、外の夜 景を眺めていた。  「こうしているのが夢見たいです」  会話の口火を切ったのは高瀬であった…  「ああ…」  星野は静かに高瀬の方を見た。高瀬は下を向いていた。  「あの…」  「なんだい?」 と、星野が優しく答えると、  「あの…星野さん、本当に無理を聞いていただいてすみません」  急にしおらしくなった高瀬を見て、星野はつい今し方まではキャーキ ャー言ってはしゃぎ回っていた高瀬と同一人物であるのかと疑いたくな った。  「私…実は…」 と、静かに高瀬は語り始めた、しかし、星野はまた急に高瀬がおちゃら け出すだろうと思って警戒していた…しかし、  「私…実は星野さんが好きでした…入社したときから…」  「こうして、星野さんと二人っきりでデートするのが夢でした…」  「私…もっともっと生きていたかった…」 と言って、高瀬は泣き出してしまった。  星野は、高瀬の予想外の行動に狼狽した、そして、しばらく高瀬を見 守っていたが、高瀬の涙が本物と知り、自分の考えを恥じた。  それから、星野は高瀬の前に身を乗り出すと、静かに高瀬の手をどけ て人差し指で高瀬の涙をすくうと、高瀬の体を静かに抱き寄せた。  「…星野さん…」  「高瀬君…俺も君が生きていれば…」  高瀬を抱きしめた星野の腕に力が入る。高瀬は幽霊であるが、星野に 対する想いが今まで募っていたのであろう…星野は高瀬に質感を感じた。  「高瀬君、逝くなとは言えない…しかし、出来るなら、しばらくこう していたい…」  星野はそう言うと、一筋の涙をこぼした。  「星野さん」  高瀬はそう言って、星野の胸に顔を埋めた。  星野の流した涙が高瀬の髪を濡らした。その途端、急に高瀬の体が光 りだした。  「一体…なにが…」  驚いた星野に対し、高瀬は星野をそっと突き放し、  「星野さん、どうやらお迎えが来たようです」  高瀬は冷静に言って、微笑んだ。  「ありがとう。星野さん。私の無理を聞いて貰って…本当にありがと う…」  そう言うと、高瀬は光る涙を流した、一粒の光の涙が次第に広がって 彼女の体を消していく…まるで日の光に溶ける名残雪のように…  「おっおい…高瀬君!」  星野は高瀬に手を伸ばそうとしたが、なぜか思いとどまった。  そうしている間に、高瀬の姿は完全に消えていた。そして彼女が座っ ていた場所はわずかに水が溜まっていた。  星野は呆然とその光景を見ていたが、しばらくして我に返り、  「本当に、成仏したんだろうか…」 と、星野が呟いてゴンドラの窓辺に立ち、窓から星空を見上ていると、  「なかなか、いい娘だったじゃない」 と、急に後ろから高瀬とは明らかに違う女性の声が聞こえた。  星野が振り返ると、そこには星野守護霊である祖母の静(の若い頃の 姿)が立っていた。  「ばあちゃん…イテ」  星野が言った途端、静の拳が星野の頭を小突いた。  「静さんとお呼びと、言ったでしょ!」  小突かれた頭を撫でながら、  「判りました、ところで静さんどうしてここに…?」  「どうしてって、そりゃ…」 と、静は口ごもった…  「あーーっ、見てたんでしょ!」  星野が震えながら静を指さしながら言うと、  「そりゃ…可愛い庄兵さんが、心配だったから…」 と、急に静の声のトーンが高くなった。  「なんだぁ…見てたのかぁ…静さんも、意地の悪い…」  星野が照れながら言うと、  「わ、私は、しょ、庄兵さんの守護霊ですからね、普段は私の大事な 庄兵さんに悪い霊が憑かないように防いでいるけど、今日は特別に高瀬 さんに庄兵さんを預けたの!けど、守護霊と守護されるものは一心同体 …離れるわけにはいかないじゃないの!!」 と相変わらず、うわずった声のまま静は言った。  そして、なぜか二人とも下を向いて黙ってしまった。  そのまま、ゴンドラが下に着き二人は降りていった。ゴンドラの係員 だけがこの二人を見て首を捻っていた。  「でさ…静さん」  日本丸メモリアルの横の道を歩きながら、星野は静に言った。  「なあに…?」  静もようやく落ちついたのか、いつもの落ちついた声に戻っていた。  「あれで、彼女本当に成仏できたの?」  「そうよ…だって思いを遂げられたんですもの…満足して霊界に旅立 っていったわ」  と言って空を見上げると、急に空を指さし、  「ほら…あそこでお別れを言っているわ」 と言って、小さく手を振った。  星野の目にはには何も見えなかったが、静が言うとおり、きっと高瀬 が別れを言っていると思って。  「さよなら、成仏しろよ!」 と星野は小声で言うと、静と並んで手を振った。その時、星野には高瀬 の笑顔が一瞬見えた気がした。  「ほんとに…惜しいことしたわねぇ…」  「なにが…?」  「あんないい娘、他にはいないわよ!あんなに庄兵さんのことを思っ て居てくれる娘はいないのに…生きていれば庄兵さんの良いお嫁さんに なっただろうに…」 と、静は溜息をついた…  そして、『私もこの子の肉親でなけりゃ…』と小声で続けた事は星野 は気が付かなかった。  「さぁて…帰るかぁ…」 と、星野が大きな延びをして言うと、  「さて…今度は生きている恋人を捜してあげましょうね。ちゃんとし た家柄の娘を…」 と言って、静は星野の背中を思いっきり叩いた。  星野はその反動で数歩よろめいた。 =終わり= 藤次郎正秀